コンサバトリー恋物語 全4回 ②クリスタルパレスに恋して

建築家・景観デザイナー 山田 朗

  今から150年以上前の1851年に近代建築にとって革新的な建物ができます。第1回万国博覧会がロンドン・ハイドパークを会場に開催され、建物は総ガラス張りで鉄骨のプレハブ建物です。クリスタルパレス(CRYSTAL PALACE)日本語で水晶宮と名づけられました。

英国の総力をあげて世界中から展示物を集めましたが、建物そのものが壮大な展示物となったわけです。ちなみに、このとき、トマス・クックは英国民のために鉄道ツアーを企画し、のちに旅行業を確立しました、また、アメリカからライフル銃やグッドイヤータイヤが関心を集め、のちにヨーロッパの産業として発展したそうです。

これをデザインしたには、造園家のジョゼフ・パクストン(Joseph Paxton)で彼は、ご存知の通り風景式庭園で有名なチャッツ・ワース(Chats Worth)のおかかえ庭師でもあります。ここは1600年後半は初代の公爵がフォーマルガーデンを作ったのですが、のちに有名なケイパビリティブラウンが風景式にし、それを受け継いでジョゼフ・パクストンが庭師になっていました。骨組みは鉄師リチャード・ターナ(Richard Tunner)が関わっています。いまでいうとパクストンとターナーのコラボレーションによって生まれた建築と言えます。

このクリスタルパレスによって、より大規模なガラス建築へと発展していきます。1867年イタリア・ミラノでは、ガレリアのアーケードができますし、1900年のパリ博の大ガラス建築へとつながっていきます。また、一方では、庭に置けるような小さな物も作られ始めました。パクストンがクリスタルパレスに作る前にはじっさいに小さな物をつくって植物の保護の実験をしていました。

次の写真は1892年に建てられた運ウィンターガーデンと呼ばれているコンサバトリーです。いま、私どもが輸入しているコンサバトリーのメーカのAMDEGA社の前身であるRichardson Companyによって作られたものです。これを見て気がつかれると思いますが、クリスタルパレスのドーム部分だけを真似たもので、強く影響されている事がわかります