2009年7月号

曖昧のテイスト (その7)
フランス北西部と英国コンサバトリーの町ダーリントン周辺を訪ねて


●湿った空 乾いた空
吉行淳之介は大好きな作家の一人、「湿った空 乾いた空」は大人のラブストーリーだがこの題名が今回の旅の終わり頃から頭の中を巡っている。小説の女は道を歩きながら焼き栗を頬張るのだが・・・
6月上旬のフランスとイギリスは初夏の陽気、天候には恵まれ、乾いた空が続き朝晩は冷える。
パリへは知人の絵画の個展オープニングへ参加のためだったが、偶然にも日本からのご友人等に誘われて翌日からモンサンミッシェルへの小旅行となった。こんな事でも無いと行くこともないだろうと思い、自分の予定をキャンセルし同行した。モンサンミッシェル迄はパリから約400kmの距離、ミニバンに6人での移動となった。途中ジヴェルニー(Giverny)にあるモネの庭に立寄る。モネの「睡蓮」が描かれたアトリエだ。私はモネの絵だけで充分と思っていたが飛入りで参加した以上皆に同行と相成った。予備知識無しに訪れたがそれは想像以上に良く手入れされていて、庭と言っても日本で言うと水上公園に近い。モネは貧困によりパリのセーヌ川岸には住んでいられず郊外のここに移り住んだらしい。池というより沼くらいある池は自分で掘ったというが最初は小さいものだったに違いない。絵画のように草花が美しく咲き、蓮が漂う光景を確かに留めておきたい。いつかモネのマネをしたいと心に刻んだ。

●ムール貝とカマンベールチーズとリンゴのノルマンディ地方

昼食はノルマンディー地方のオンフルール(Honfleur)という小さな漁港に寄る。この地方はカマンベールチーズの産地で魚介類が豊富。ムール貝の白ワインとカマンベールチーズ蒸煮、生フカヒレのクリームチーズのムニエルを注文、白ワインとの相性は素晴らしい。この周辺の海岸はイギリスとの100年戦争や第2次大戦の連合軍ノルマンディー上陸(1944年6月6日)の辺りであるが昔ながらのファサードが連なり、66年後の今は平和な漁港の美しさを醸し出している。この町にあるエリック・サティの生家には時間で立寄れなかった。

海に浮かぶ孤島の修道院で知られるモンサンミッシェルは、観光道路とそれに付随した駐車場を作ったために砂が堆積し半分は砂地 に面して海水で満たされることは稀である。年に何回かの大潮の時でなければあのイメージにはならない。今はまた元に戻すべく駐車場を廃止し、堆積した砂を排出する工事にかかるらしい。世界遺産には1979年という古くに登録されている。
訪れてみて分かったのは、何処にも世界遺産であるという看板が無い、日本で看板と柵とロープによって誘導されるのに慣れさせられている我々にとって驚異とも言える。修道院までの坂道はグラン・リュ(大通りと呼ばれているが2m位しかない)に面してお土産屋さんやカフェが立並ぶ、普通の生活があってとても落ち着いている。修道院の入り口にはチケットカウンターがあるが、それを過ぎると我々を仕切るものは全く何も無い、触ることも座ることも出来る。歴史の流れに増改築を繰り返してきた建物にそのまま触れることが出来た。
帰路は昼食をボーブロン(Beuvron)と言うクレープとシードルで有名な小さな村でそば粉を使ったクレープのガレットとリンゴのお酒シードルとカルバドスを楽しんだ。
この旅程最後はルーアン(Rouen)というローマ時代から歴史を持つ古都、ここはジャンヌダルクが処刑された町として有名である。町の中心には大きな3つの教会、ノートルダム大聖堂、サン・マクルー教会、サントゥアン教会があり、(他に中小の教会4~5つある)また戦後にはジャンヌダルクの大礼拝堂も建設された。キリスト教の宗派による違いはあるにせよ小さな町に大きな3つもの教会を建てるエネルギーの凄さには日本人には真似出来ない狂気の沙汰とも思える。奈良の東大寺大仏殿が何百メートル毎に3つ建っているという凄さだ。

●乾いた感性

さて、本来の目的地英国コンサバトリーの町ダーリントン(Darlington)の北にデューラム(Durham)という中世から続く歴史都市を訪れた。驚くべきはデューラム大学が校舎としているのは500年前から築城されたデューラムキャッスル城をそのまま1世紀に渡り使用していることだ。
見学は大学と言うこともあり必ず定時に集まった観光客の為にボランティアの学生が案内する。折しも小雨降る日曜日に訪れた。案内されると至る所昨夜に飲んだ酒瓶や食べ物の残りが散乱している。その光景は500年前へタイムスリップする、まるで中世の兵士達が酒盛りしてるのではないかと。日本では文化財として保護されていそうな建物を家具から何からそのまま使っている。傷が付こうと壊されようとお構いなし。差し詰め弘前大学が弘前城を校舎にしているようなものだろう。

英国の歴史は有形を残すのではなく無形の伝統を継承する、ローマ人が作った基礎の上にロマネスク時代、ゴシック時代、近代へと色々な人種の手によりながら時代の変化に応じて英国の伝統が作られてきた。残すべきは何か?と彼らに問えばそれは多分何も無いと答えるだろう、しかし使える物はとことん使うと。帰国の途に付く前に「伝統的なフィッシュアンドチップス」(classical fish and chipsとメニューにあり)を頼んだ。何処が伝統的かと思いながら皿から余り溢れるどう見ても現代的なポテトチップスを包み、小雨は降っているも乾いた空の下をチップスを頬張りながら、湿った空の日本へ戻った。乾いた空に乾いた感性、湿った空に湿った感性が息づいているが、世界を相手にするには乾いた感性も必要に違いないと思っている。