2008年4月号 曖昧のテイスト (その2)
厳しい数値化の時代だからこそ大事にしたい曖昧の感性
コンサバトリー輸入20年で見えてきた英国の感性
●何がバリアフリーか
ロンドンの街は古さゆえ段差ばかりであり、扉に至っては自動ドアなどは大きなデパートかスーパーでもなければ付いていないし、大抵は古くて大きいドアに一度は押してみたり引いてみたり、挙句の果てはお店の人に開けてもらって入るなんてことになる。バリアフリーには程遠い古い街に老人達はおかれている。
日本では段差解消や手すりといったハード面の設備が進んでいるが、英国人にバリアフリーの話をしたらその事はエイジドフリー(Aged Free、高齢者がアクセスし易いの意)の事か?と逆に質問された。体の不自由な方や高齢者のための段差解消は当然必要であるが、英国にはエイジドフリーといってもバリアフリーとは言わないらしい。結局バリアとは人間と人間の問題なのだ。近くに居る誰もが弱者に対して手助けをすればハード面のバリアは無いのも同然である。
●コンサバトリー的感性
コンサバトリー輸入20年を通して見えてくる英国の感性がある。コンサバトリーはガラスが主要な部分を占めているから、日本の感覚で言えば掃除が大変だろうとか、割れたらどうするのだろうかとかネガティブに考える人が多い。彼等のコンサバトリー150年の歴史はこれらを乗り越え進化しつつある。最近では自然浄化ガラスが開発され、光と水によって汚れが分解され綺麗に保てるガラスが出来た。だからと言って皆がそうするわけでもなくて、基本的に屋根ガラスは角度が30度前後あり雨が降ると大部分のゴミは洗い流されるし、日本人のように潔癖症ではないので汚れも模様の一つくらいにしか思っていない。ガラスは高機能断熱ペアガラスを使っていて基本的に両面強化ガラスなので割れることはない。(万一割れても細かくなるので怪我が少ない)
英国は土足生活ということもあろうが大らかでモノに執着しない、質素だけれどもデザインを楽しんでいる。デザインと聞くと直ぐ新しい感覚と思うだろうが、そうではなくて古いものは大事にし新しいものを上手く調和させてゆく感覚に優れていると思う。●「面倒くさい」をどれだけ楽しめるか
現代社会ではハード面やモノは進化して軽薄短小化、簡単楽ちん化が進んでいるが、例えば乗用車は日本ではもう圧倒的にオートマ車であるのに対し英国では圧倒的にマニュアル車である。レースが好きな国民性もあるだろうが、私は「面倒臭い事は逆に楽しみにつながる事を感じている」からだと思っている。重い扉をゆっくり開ける時、ガタゴトと軋みながら上がるエレベーターの不安感、それとは裏腹に使い捨てではない文化の重みが伝わってくる。
我々が切り捨ててしまった手間のかかる事への愛着や喜びのようなものを楽しむ感性を見直したい。また、英国の郊外のコンサバトリー付の住宅のように、以前日本では土間空間が街に開いた曖昧空間が存在していたが、現代はブロックや塀で個と公の境界がはっきりしてしまっている。隠して覆うのではなく街に対して曖昧な空間が街にとってのバリアフリーな精神を育んでいると思う。
街にとってのバリアフリーなコンサバトリーのように、心のバリアを取り払ったもっとオープンな大人の曖昧感性を養いたいものだ。英国の街角にはコンサバトリー付の住宅が多く見られ、街から家から中がよく見える。
道行く人も家の人も気持ちの垣根が無くオープンな空間を共有している。