▼月刊エクステリアワークに現在連載中のコラム
 「コンサバトリー輸入20年目で見えてきた英国の感性-曖昧のテイスト」を掲載しています。


2010年4月号

 曖昧のテイスト (その8) 
 デジタルの海だからこそ浮上するアナログ的感性

冬季オリンピックのカーリングに見る英国の曖昧ティストを愉しむ
500年前にスコットランドで発祥した氷上のチェスとも言われているカーリングは囲碁とオセロとビリヤードとゴルフとペタンクを合わせた様なスポーツと思っている。私は12年前の長野オリンピックで始めて競技種目となりその面白さの虜となって、以来TV放送があると興味深く見ていた。(歴史的には囲碁は中国で一番古く、その次にゴルフ、ビリヤード、カーリングと英国で発達、オセロは戦後日本人によるゲームだが原型は19世紀の英国にある、ペタンクはフランス20世紀初頭)

その魅力は10回の表裏の戦いが氷の状況と時間経過と共に微妙にずれて来る事を判断しながら、相手のストーンの裏側に回ったり弾き飛ばしたりし、より中心に近いストーンを多くしてゆく、点を取ったチームは次回が先攻になるため、相手に最小1点を取らせて次回に2点以上得点をするという基本的な戦い方があって、さながら「肉を切らせて骨を絶つ」のと言った感がある。
スピードは遅いがそのストーンの軌跡を追いながらの応援は手に汗握る興奮を憶える。
また、ゴルフと同じように自然の影響を多く受けながらそれを乗り越える技術と戦略で闘う面白さだ。寒い冬に2時間以上のゲームを楽しむことができ、かつ肉体以上に頭脳ゲームでキャリアがものを言う稀有なスポーツであろう。
英国は知の壷、色々なスポーツのルーツがある。自分たちでルールを作りまた、ルールは時代に即して更新し面白い世界を創る。

カーリングに学ぶ仕事の流儀
・4人一組のチームがそれぞれの分担をし、スキップ(リーダー)の指示に従いストーンを投げる(チームで仕事をする)
・ストーンにへばり付いているクルーと氷の表面をスイープするかしないかを声を掛け合いながら判断する、(現場とコミュニケーションを取合う)
・状況の変化や運によって、AプランBプランを考えてから投げる(代替案や対応策を事前に考えておく)
・10回の攻防を最初からイメージし最後に逆転できる石の配置を考える(仕事の着地点を考えておく)
・最後のストーンを投げやすい状況を作る、最後のストーンは司令塔のスキップが投げる(良くも悪くもリーダーに花道を作る)

まさに我々が日頃直面している世界が氷上の2時間に集約されていると言える。
1回一人2個ずつ投げて8投目の最後のストーンを投げることが勝利に繋がる、点を取った次の回は先投げのルールためにわざと1点を取らせて次回に2点以上取る状況を作る。
10回の攻防のうちの8エンド10エンドのラストストーンを握るために相手に1点を取らせる
回が進む内に微妙に氷の状況が変わってゆく中で相手のストーンを利用しながら自分のストーンを有利においてゆくが運が大きくかかわってくる。状況の変化に対応するためあらかじめ上手く行った場合のAプラン、いかなかった場合のBプランを想定しながら投げる。デジタルではないアナログの極致のゲームと言っても過言ではない。

アナログからデジタルへと進化?したモノに車がある。アクセルを1回踏んでクラッチを離しながらイグニッションスイッチをいれ同時にアクセルを半分踏みながらエンジンをかける、かかった後もアクセルを踏んだり離したりしてエンジン音の様子で今日の車の機嫌が分かる、といった感覚は今やクラシックカーでも持たない限りあの喜びは戻ってこない。

曖昧ティストを愉しむ感性-トヨタ車のリコールがアメリカから起こった話

何故アメリカであんなに話題にされているのにヨーロッパでは問題にされていないのか?政治的な背景が或る事を差し置いても、私にはヨーロッパ人のアナログ的曖昧ティストがあると思う。この問題に対する英国BBC放送を連日注意して見ていた。英国BBC放送でのトヨタ社を使用しているタクシー会社インタビューではドライバーは特に問題視することは無いと、車好きの彼らは車の特性や個性としてブレーキの感覚を捉えていて、はっきりと問題にする様な事ではないと答えていた。要は「くせ」は個性につながり「くせ」を愉しむ感性が薄れてしまった。
安全に関することなので軽率には言えないが、オートマチック化が進むアメリカ文化か、個性を愉しむヨーロッパ文化かの違いとも感じられる。近代化のルーツといえる英国のものづくりの感性はデジタル化された現代においてもアナログ的感性を持ち続けていて、結局人間が「愉しむ」という原点を忘れてはいない。

今回のバンクーバーオリンピックでの女子カーリングの決勝は奇しくも双方とも43歳の司令塔を要するスウェーデンとカナダの対決となり、歴史に残る攻防を繰り広げた。 ご本家英国チームであるが、今年の司令塔は若干19歳のミュアヘッドが40代のキャリアがあるメンバーを従えて臨んだ。残念ながら日本より悪い成績に終わったが、このようなチーム編成にも英国の懐の深さと常に世界を見据えての戦略を感じている。




2009年7月号

 曖昧のテイスト (その7) 
 フランス北西部と英国コンサバトリーの町ダーリントン周辺を訪ねて

●湿った空 乾いた空
吉行淳之介は大好きな作家の一人、「湿った空 乾いた空」は大人のラブストーリーだがこの題名が今回の旅の終わり頃から頭の中を巡っている。小説の女は道を歩きながら焼き栗を頬張るのだが・・・
6月上旬のフランスとイギリスは初夏の陽気、天候には恵まれ、乾いた空が続き朝晩は冷える。
パリへは知人の絵画の個展オープニングへ参加のためだったが、偶然にも日本からのご友人等に誘われて翌日からモンサンミッシェルへの小旅行となった。こんな事でも無いと行くこともないだろうと思い、自分の予定をキャンセルし同行した。

モンサンミッシェル迄はパリから約400kmの距離、ミニバンに6人での移動となった。途中ジヴェルニー(Giverny)にあるモネの庭に立寄る。モネの「睡蓮」が描かれたアトリエだ。私はモネの絵だけで充分と思っていたが飛入りで参加した以上皆に同行と相成った。予備知識無しに訪れたがそれは想像以上に良く手入れされていて、庭と言っても日本で言うと水上公園に近い。モネは貧困によりパリのセーヌ川岸には住んでいられず郊外のここに移り住んだらしい。池というより沼くらいある池は自分で掘ったというが最初は小さいものだったに違いない。絵画のように草花が美しく咲き、蓮が漂う光景を確かに留めておきたい。いつかモネのマネをしたいと心に刻んだ。

●ムール貝とカマンベールチーズとリンゴのノルマンディ地方

昼食はノルマンディー地方のオンフルール(Honfleur)という小さな漁港に寄る。この地方はカマンベールチーズの産地で魚介類が豊富。ムール貝の白ワインとカマンベールチーズ蒸煮、生フカヒレのクリームチーズのムニエルを注文、白ワインとの相性は素晴らしい。この周辺の海岸はイギリスとの100年戦争や第2次大戦の連合軍ノルマンディー上陸(1944年6月6日)の辺りであるが昔ながらのファサードが連なり、66年後の今は平和な漁港の美しさを醸し出している。この町にあるエリック・サティの生家には時間で立寄れなかった。

海に浮かぶ孤島の修道院で知られるモンサンミッシェルは、観光道路とそれに付随した駐車場を作ったために砂が堆積し半分は砂地 に面して海水で満たされることは稀である。年に何回かの大潮の時でなければあのイメージにはならない。今はまた元に戻すべく駐車場を廃止し、堆積した砂を排出する工事にかかるらしい。世界遺産には1979年という古くに登録されている。
訪れてみて分かったのは、何処にも世界遺産であるという看板が無い、日本で看板と柵とロープによって誘導されるのに慣れさせられている我々にとって驚異とも言える。修道院までの坂道はグラン・リュ(大通りと呼ばれているが2m位しかない)に面してお土産屋さんやカフェが立並ぶ、普通の生活があってとても落ち着いている。修道院の入り口にはチケットカウンターがあるが、それを過ぎると我々を仕切るものは全く何も無い、触ることも座ることも出来る。歴史の流れに増改築を繰り返してきた建物にそのまま触れることが出来た。
帰路は昼食をボーブロン(Beuvron)と言うクレープとシードルで有名な小さな村でそば粉を使ったクレープのガレットとリンゴのお酒シードルとカルバドスを楽しんだ。
この旅程最後はルーアン(Rouen)というローマ時代から歴史を持つ古都、ここはジャンヌダルクが処刑された町として有名である。町の中心には大きな3つの教会、ノートルダム大聖堂、サン・マクルー教会、サントゥアン教会があり、(他に中小の教会4~5つある)また戦後にはジャンヌダルクの大礼拝堂も建設された。キリスト教の宗派による違いはあるにせよ小さな町に大きな3つもの教会を建てるエネルギーの凄さには日本人には真似出来ない狂気の沙汰とも思える。奈良の東大寺大仏殿が何百メートル毎に3つ建っているという凄さだ。



●乾いた感性

さて、本来の目的地英国コンサバトリーの町ダーリントン(Darlington)の北にデューラム(Durham)という中世から続く歴史都市を訪れた。驚くべきはデューラム大学が校舎としているのは500年前から築城されたデューラムキャッスル城をそのまま1世紀に渡り使用していることだ。
見学は大学と言うこともあり必ず定時に集まった観光客の為にボランティアの学生が案内する。折しも小雨降る日曜日に訪れた。案内されると至る所昨夜に飲んだ酒瓶や食べ物の残りが散乱している。その光景は500年前へタイムスリップする、まるで中世の兵士達が酒盛りしてるのではないかと。日本では文化財として保護されていそうな建物を家具から何からそのまま使っている。傷が付こうと壊されようとお構いなし。差し詰め弘前大学が弘前城を校舎にしているようなものだろう。

英国の歴史は有形を残すのではなく無形の伝統を継承する、ローマ人が作った基礎の上にロマネスク時代、ゴシック時代、近代へと色々な人種の手によりながら時代の変化に応じて英国の伝統が作られてきた。残すべきは何か?と彼らに問えばそれは多分何も無いと答えるだろう、しかし使える物はとことん使うと。帰国の途に付く前に「伝統的なフィッシュアンドチップス」(classical fish and chipsとメニューにあり)を頼んだ。何処が伝統的かと思いながら皿から余り溢れるどう見ても現代的なポテトチップスを包み、小雨は降っているも乾いた空の下をチップスを頬張りながら、湿った空の日本へ戻った。乾いた空に乾いた感性、湿った空に湿った感性が息づいているが、世界を相手にするには乾いた感性も必要に違いないと思っている。


2009年3月号

 曖昧のテイスト (その6) 
 日本の建築美意識もアジアン雑多に淘汰されるか
●年月を経てなお美しい
 ヴィンテージ建築群

 若い頃ニューヨークMOMAにて、ジャスパージョーンズのアメリカ国旗を描いた絵を見た。現代アートの旗手がまさに「旗」(flag1954)をモチーフに記号かアートかと旋風を起こした作品。図録で見ていたより思いの外小さめの印象であったが、丹念に十分塗り重ねられたマチュエールからは優しさ、悲哀、郷愁、と言った記号を通り越したアートとしての印象を得て、それ以来好きなアーティストとなった。
 赤白のストライブでまるでアメリカ国旗を描いたような外壁の住宅、最近話題となった某漫画家の家は余りに強烈なので住民から景観にそぐわないと訴えられた。見た人の意見の中にはそんなに目くじら立てるほどキテレツではない、もっと変な住宅が近くにあったとか、裁判一審では地元民の訴えは棄却された。
 国家や地域をかたち創る建築の美しさは建築単体よりも集団的「群」としてであろう。英国の田園風景、スイス・イタリアなどの山岳地方の山村、サンフランシスコの木造‘密着’住宅群、アムステルダムの運河沿いの街並み。これらは皆、個が全体によって統一され、同じ材料同じ色調だったり、色はバラバラでも作りが一緒であったり全体を構成するひとつの建築という意識が働いている。
 日本だって負けてはいない(日本建築の美しさはブルーノタウトが桂離宮を絶賛した事で言うに及ばず)。知覧の武家屋敷群、京の町屋、高山の茅葺民家、金沢の黒瓦屋根建築群、函館元町の和洋折衷建築群など、年月を経てなお美しいヴィンテージ建築群。誰もが日本や世界を旅してこれらを美しいと感じる心は持ち合わせているのに、なぜ街のかたちを創れないのか?日本の都市の雑多さがアジア的でいいと旅人は言うがそれは住む事と訪れる事の違いであり、美しいとは言い難い。日本人の洗練されていた美意識は何処へ行ったのだろう?

●何を残し何を変化させるか

 英国は近代社会を形作った知恵の源泉がある。産業革命以後、諸々の重工業や軽工業、ツーバイフォー住宅も英国で生まれてアメリカ経由で日本に入った。パソコンも、高機能の板ガラスも、近代化を推し進めた技術の宝庫だ。スポーツだってサッカー、ラグビー、テニス、野球と原型は英国から生まれた。明治政府は日本の近代化を進めるために英国をお手本とした。技術だけでなく教育制度や議会や法律などを含めて。しかし当の英国は早々と時代の変化に制度を変化させ、真似た日本は未だに明治に決めた法律に縛られている。英国に習った学校制度6、3、3年制などは英国は遥か昔に変化させている。典型は英国ロイヤルバレエ団が日本人熊川哲也を東洋人初めてのプリンシパルに抜擢、20年前日本では考えられない事であった。何を残し何を変化させるか、今改めてそれを英国の英知に学びたい。
 イギリスの福祉施設の視察した時、戦前までマナーハウス、戦後小学校になり、今は老人ホームとして使われている建築を見た(日本の場合は建物種類が変わると細かい法律によって元の建築は使えないのが大部分)。外観は変えない、と言うか変えられない。基本的に古い建物は外観を変えられない法律がある。ただ多少の手は入れられるので、コンサバトリーを付加したり内装を変えたり工夫して古いものを使っている。自分たちの「風景のかたち」は変えない---戦後のアメリカ大量消費から英国スローデザインへ転換し、ストレスフリーな「まち」を創ってゆきたいものだ。



2009年1月号

 曖昧のテイスト (その5) 
 激動の2009年の初めに、この国のかたちを考える
●お雑煮から始まる「規制緩和論」
 師走のある日の日経新聞コラムに、「正月には日本中で雑煮を食べるが、仕立ても味も地方によって千差万別」というものがあった。そのコラムによると、「さまざまな風土伝統に基づく創意工夫によって、豊かな料理のバリエーションが生まれた」ということであった。  同コラムにはその一方で、「国が地方を縛っている項目が1万項目に上る。そのうち地方分権委員会が4000項目を不要としている」と指摘。馬鹿馬鹿しい規制の一例として、「保育室または遊戯室の面積は2歳以上の幼児1人につき1.98㎡。授乳児だと1.65㎡、2歳未満は3.3㎡」といった保育所の基準について紹介していた。
 果たしてこんな規制に意味があるのか。コラムは「安全や安心のためには捨てられない規制もあろうが、がんじがらめでは創意工夫が生まれない」と結んでいる。
 さらに皮肉を込めて、こうした規制について「まるで雑煮の餅の切り方や、かまぼこの枚数まで決まっているかのような錯覚さえする」と嘆いている。

●食材も規制も「所変われば品変わる」
 世界の食文化に興味がある筆者(私)は、このお雑煮から始まる規制緩和展開に大いに共感した。昔から言われている「所変われば品変わる」と言う言葉。私は世界の食文化に触れるにつれ、この事を強く感じている。
 例えばイタリア食材で欠かせないのがアンチョビである。駄洒落料理建築家を自称する私は、これを日本料理に使った「あんちょびっと料理」シリーズというものを創った。その折に色々調べてみると、魚の発酵食材「魚醤」は東へ来るとナンプラーなど、日本に渡って秋田の「しょっつる」となった。また中国で生まれた麺は西へ行ってパスタとなり、日本に渡ってうどんとなった。
 食材だけではない、規制ルールも品変わる。英国の住宅地では酔っ払って歩くと罰せられる。北欧のバーでは酔った客には酒を売ってはいけない(酒を飲む処で酒を売っていけないというルールは日本の飲兵衛天国では考えられないだろう)。また、NYの通勤フェリーでは1.5m離れた場所でイヤホンからの音が聞こえると罰せられる。迷惑になるようなルールは細かくどんどん決めて、運用の面では比較的ルーズに適用する。何かあれば取り締まりが可能なようにコンセンサスを得ておく。これが大人社会への第一歩であろう。

●中央の基準ではなく、地域それぞれの創意工夫を尊重しよう
 ごく少数民族で島国の日本国においては、近年のネット社会構築によって黒船以来のグローバル化の波に洗われているが、先進国の世界基準からはまだまだ未成熟な部分が露呈されている。これは対世界に限ったことではないと考える。
 日本国内においても、戦後の高度成長期から意識の変革が遅れている。江戸時代までは日本の地方それぞれが一国家であったが、それがここ100年の短時間に国内のグローバル化が進み、中央の基準が地方の基準に当てはめられてしまった。 International(国際)という事は、National(地方)がそれぞれインターによって結ばれることを意味する。高速道路のインターチェンジを降り立つと、それぞれ独立した文化や慣習があるという形が望ましい。国の基準を金太郎飴のように押し付けるのではなく、もっと基準を曖昧にし、地方の創意工夫を尊重したルール作りを望みたい。

●伝統的日本家屋にあった、家の中の「インターチェンジ」
 英国コンサバトリーを20年扱ってきた私は家の中のグローバル化も同様と感じている。
 伝統的日本家屋は、縁側や土間といった中間領域を有していた。戦後は洋風化が進み、エクステリアとインテリアに区切られ、中間的なスペースが失せた。
 英国で200年近い歴史を持つコンサバトリーは、まさに外部と内部をつなぐインターナショナルなスペースである。この曖昧な空間こそが家のインターチェンジな部分となり、そして建物単体に限らず街との関係においても、より成熟した街並みの創造となると確信している。
 曖昧な空間であるコンサバトリーで、インターネットから簡単に取り寄せられる世界の食材を使ってガーデンパーティを堪能してみる。守るべき伝統は継承しつつも、大いに意識改革を行う必要がこの国にはあると痛感している。




2008年10月号

 曖昧のテイスト (その4) 
 高齢化社会の本来のバリアフリーを考える
最近コンサバトリーを増設し高齢者のためのリフォームが増えている。英国のコンサバトリーは日本家屋の土間や縁側に似ている。半屋外の曖昧な中間領域と言えるが、明るい陽溜りとなってそれが高齢者にとっても居心地の良い空間となる。

例1)ご両親介護のために今まで別家屋での生活から同居のためのリフォーム、2階建の1階部分をご両親の生活スペースにし、今までリビングだった部分を寝室にし新たに共有リビングとしてコンサバトリーを増設

例2)ご子息は既に独立しお母様の逝去によって空いた部屋を老夫婦の生活充実のためにリフォーム、やはり生活の場を1階に置き、空いた2階の活用を考えるというもの、いずれもコンサバトリーを軸として展開

子育て時代は2階にそれぞれの寝室があり1階が団欒スペースであったが、高齢化した夫婦にとっては1階で全て生活できるようにリフォームし1階と2階を分離する事で、生活機能にバリアを設けて整理する、つまり「生活スタイルのリフォーム」ということも、高齢者の大きなニーズなのだ。そしてもちろん、その生活は充実感と幸福感を与えるものでなければならない。緑に囲まれたコンサバトリーは高齢者にとって「家の中の小さな別荘」同じフロアでも全く違う空間によって衰えつつある五感を刺激する空間と勧めている。

個別的なハード面のバリアフリーより社会の質を変えるバリアフリーへ 高齢者のためのリフォームを通して見えてくる事がある。家族が少なくなった2階は改造して学生や若者が住める貸部屋やルームシェアなどとしたら、万が一の災害時に手助けが出来るという事も可能かもしれない。木造の耐震化も必要な事ではあるが成人の約4割が65歳以上という日本社会のまちづくりを考えると、段差の解消などの個別な対応ではなく町全体として社会的バリアーを無くすような方策が望まれる。
今の建築基準法ではアパートや集合住宅になると途端に厳しくなる、当然防災関係の強化は必要であろうが、もっと簡単なかたちで改造ができる方策も必要であろう。コンサバトリーの様な半屋外的スペースは英国のように建ぺい容積の枠にとらわれず一定規模まで緩和するなど日本の狭小な敷地条件のハンデをカバーできるような施策を望みたい。 世代間の交流やコミュニケーションが出来れば何もハードをバリアフリーにしなくても、お互いに助け合える・・・分からなければ、人に気軽に聞けること、手すりがなくて困っている老人がいれば、手助けすれば済むことだ。それが逆に、バリアがなくて手すりがあるかるから、手助けなんてしなくて良いだろう、という風に日本人の優しさは変質してしまった。「バリアフリー」はまるで、アリバイ作り、責任逃れのように思えてならないのである。町全体のルールづくりをしながら自己責任において改造してゆける「曖昧さ」を許容出来るような文化を再構築したいと思っている。


 「家の中の小さな別荘」五感を刺激するコンサバトリー


2008年4月号

 曖昧のテイスト (その2) 
 厳しい数値化の時代だからこそ大事にしたい曖昧の感性
 コンサバトリー輸入20年で見えてきた英国の感性
●何がバリアフリーか
ロンドンの街は古さゆえ段差ばかりであり、扉に至っては自動ドアなどは大きなデパートかスーパーでもなければ付いていないし、大抵は古くて大きいドアに一度は押してみたり引いてみたり、挙句の果てはお店の人に開けてもらって入るなんてことになる。バリアフリーには程遠い古い街に老人達はおかれている。
日本では段差解消や手すりといったハード面の設備が進んでいるが、英国人にバリアフリーの話をしたらその事はエイジドフリー(Aged Free、高齢者がアクセスし易いの意)の事か?と逆に質問された。体の不自由な方や高齢者のための段差解消は当然必要であるが、英国にはエイジドフリーといってもバリアフリーとは言わないらしい。結局バリアとは人間と人間の問題なのだ。近くに居る誰もが弱者に対して手助けをすればハード面のバリアは無いのも同然である。

●コンサバトリー的感性
コンサバトリー輸入20年を通して見えてくる英国の感性がある。コンサバトリーはガラスが主要な部分を占めているから、日本の感覚で言えば掃除が大変だろうとか、割れたらどうするのだろうかとかネガティブに考える人が多い。彼等のコンサバトリー150年の歴史はこれらを乗り越え進化しつつある。最近では自然浄化ガラスが開発され、光と水によって汚れが分解され綺麗に保てるガラスが出来た。だからと言って皆がそうするわけでもなくて、基本的に屋根ガラスは角度が30度前後あり雨が降ると大部分のゴミは洗い流されるし、日本人のように潔癖症ではないので汚れも模様の一つくらいにしか思っていない。ガラスは高機能断熱ペアガラスを使っていて基本的に両面強化ガラスなので割れることはない。(万一割れても細かくなるので怪我が少ない)
英国は土足生活ということもあろうが大らかでモノに執着しない、質素だけれどもデザインを楽しんでいる。デザインと聞くと直ぐ新しい感覚と思うだろうが、そうではなくて古いものは大事にし新しいものを上手く調和させてゆく感覚に優れていると思う。

●「面倒くさい」をどれだけ楽しめるか
現代社会ではハード面やモノは進化して軽薄短小化、簡単楽ちん化が進んでいるが、例えば乗用車は日本ではもう圧倒的にオートマ車であるのに対し英国では圧倒的にマニュアル車である。レースが好きな国民性もあるだろうが、私は「面倒臭い事は逆に楽しみにつながる事を感じている」からだと思っている。重い扉をゆっくり開ける時、ガタゴトと軋みながら上がるエレベーターの不安感、それとは裏腹に使い捨てではない文化の重みが伝わってくる。
我々が切り捨ててしまった手間のかかる事への愛着や喜びのようなものを楽しむ感性を見直したい。また、英国の郊外のコンサバトリー付の住宅のように、以前日本では土間空間が街に開いた曖昧空間が存在していたが、現代はブロックや塀で個と公の境界がはっきりしてしまっている。隠して覆うのではなく街に対して曖昧な空間が街にとってのバリアフリーな精神を育んでいると思う。
街にとってのバリアフリーなコンサバトリーのように、心のバリアを取り払ったもっとオープンな大人の曖昧感性を養いたいものだ。

英国の街角にはコンサバトリー付の住宅が多く見られ、街から家から中がよく見える。
道行く人も家の人も気持ちの垣根が無くオープンな空間を共有している。


2008年1月号

 曖昧のテイスト (その1) 
 コンサバトリー輸入20年目の所感
AKIRA YAMADA
一級建築士・景観デザイナー
計画機構+アルファコンサバトリーズ代表

伝統的日本家屋には縁側や土間といった半屋外空間が存在した。戦後は生活の洋風化が進み住宅も輸入住宅の増加にともなって内部と外部にはっきりと区別された空間構成となってしまった。
 ヨーロッパでは産業革命以後板ガラスの発達によりオランジェリーやコンサバトリーが作られるようになり、農業工業化に伴ってガラスハウスの中で植物との共生が進み、庭の延長としての半屋外空間として発展してきた。日本の現代生活はこのあいまい空間を切り捨て機能優先のものづくりをしてきた。日本の気候風土に根ざした精神性は比較的欧米の精神性に比して曖昧で緩やかで、拒否することなく何でも受け入れてきた。縁側や土間は自然を取り入れる空間として長く日本人の生活の中心にあった。近代化が進むにつれ曖昧さのもつストレスの少ない日本の良さが損なわれつつある様な気がする。

  2007年は偽装問題で明け暮れた。偽装はイタチごっこになる。数字で画一的に決めてゆけばどんどん窮屈になる。食の偽装は賞味期限なるものを画一的に決めたために食べられるものでも破棄してしまう事態になっている。こんなバカな法律が悪い!と気が付くべきだ。ほんの少し前までは製造年月日のみでそのあとは個人が判断していた。私は腐る迄は賞味期限として個人が保存や食べ方に気を付けるべきものと思っている。個人の感覚を研ぎ澄まし、曖昧という味を楽しめばいいのではないかと・・・
 建築偽装はどうか、確かに法律違反はまずい。しかし建築は昔から建っている、何十年も何百年も法律が無い時代から。日本は地理的気象的にハンデを負っている。地震と台風で常に建築は脅威にさらされ大地震が起こる毎に基準は厳しくなり、またコンピュータの進化により構造計算は細密になり鉄筋一本にまで計算がおよび、結果自分で自分の首を絞める状況に追い詰められた。以前アナログ計算の時代は安全率を診ているので鉄筋1本や2本を間違えても大丈夫なものとして(人間は常にミスや勘違いを起こすものとして)建築は出来ていた。
今の基準に合わないからといって2007年の漢字「偽」の文字を書く清水寺の舞台に鉄骨を張り巡らす事はしないでしょう?世界遺産に登録が決まったコルビジェの上野にある西洋美術館は当然ながら新耐震基準以前の建築である。鉄筋1本に目くじらを立てるお役人は残念ながらこれらを訪れる事は出来無いだろう。
基準は厳しくしても判断はもっと曖昧にできる社会を望みたい。信頼できる医者に命を委ねられるように、建築家に単なる数字上の基準だけでなく判断を委ねられるような建築基準法であって欲しいと思う。

 昔ピラミッドパワーなる所作が社会流行した事がある。三角形のフレームの中に座し瞑想すると何やら怪しげなパワーを授かるというものである。コンサバトリーの中に寛ぐと、こんな怪しげな事ではなく本当に太陽の不思議なエネルギーによって人が何となく元気になる、というような事を感じ始めている。最初にコンサバトリーを輸入してから20年に渡りお客様と接するに連れ、そのような事が感覚として出来てきている。森林浴は健康に良い事は実証されている。全ての動植物は太陽エネルギーの恩恵を受け命を授かっている。半屋外的で昔の縁側感覚の中間領域と言えるようなコンサバトリー癒しの空間で、現代社会の持つ厳しい側面から一歩引いてみて人間本来のストレスの少ない曖昧のテイストを楽しみたいものだ。